この一年をぺろっとふり返ろう。

これが2016年の最後のブログになるでしょうから、

まあちょっと一年をふり返ってみたりしましょうぞ。



今年、私はいったいどんなことがあったか。

今年に限って、なにか新たな展開はあったか。


例えば今年の漢字は「金」だったとかニュースでやっていましたが、


では私における、今年の漢字はなんだったか、つらつらと考えてみます。

清水寺の舞台で、太い墨で一文字書けと言われればこう書きますね。

できるもんなら丸ゴシックのフォントあたりで書きたい、


「装」


17年ぶりに、制服というものとお別れいたしました。
服装の「自由」を手に入れたのです。
社長の有無を言わさず、手に入れた自由。

そして自由には必ずそれに伴う不自由がついてまわるもの。

17年という期間を経て、私の衣服に対する思考回路は完全に退化していたことを知ります。
何を着ていいのか、皆目見当がつかない。
そして何を参考にしてよいのかわからない。
50代のマダム雑誌のものとも、ちょい若い丸の内のOLが読む雑誌のものとも、
30代のママたちのものとも、
どれにも属さないと思い知ります。
そりゃそうです。そんなに「これ」という大きな内訳にみんながみんな収まりきるわけがない。
それでも私は毎日自分でチョイスした服を着て仕事に行かねばならない。そしてそれは自分が決めたこと。


まずは制服のような私服を買ってみます。ひざ丈のスカートだったり、無地のカーディガンだったり。
これは我ながら良い選択でした。
自分の中に私服に対する免疫力を蓄えながらも、いきなり冒険には出ない堅実路線。大人の戦法です。

そうこうしているうちに、
あんなに「わけがわからん」かったガウチョを味方につけ、
仕事では無縁だったパンツのスタイルにも手を出し、
自分の体型に合う着丈というものも試着室の中で学び取ります。

例年より4~5倍くらいの服飾費はかかったように思います。
なんといっても、それまで服飾費など無いに等しかった。
休日用のユニクロのジーンズなんかが立派な服飾費のメインだったように思います。

服選びのルーティーンに安定の兆しがみえ始めてからは
買ってはみたものの使えなかったという失費の割合も減り
また服飾費は落ち着きを取り戻しました。

そうしてみると手段としての私服も、やはり新しい服、新しいコーディネイトをしたときは
少し気持ちが弾みます。
反対に、この組み合わせはなんか違った、とか、着心地が悪かった、というものは
一日、若干気分が高揚しない。
これはきっと普通の人が普通に持つ感情だと思いますが、
そういう気持ちの浮沈を17年ぶりにまっとうに味わいました。
ごくありきたりなライフスタイルであると思っていましがた、
多くの女性が当たり前に持っている感情を、知らないうちに喪失していることというのはあるようです。



知らないうちに喪失、というのか、
もともとなかったのか、
それはわかりませんが、今年少し手に入れたのでは?
と思うものがあります。
それは

土踏まず


です。


何度もここでは書きましたが、水曜日に少し早く仕事が上がれた日は
ジムのヨガクラスに入っていました。
ヨガという括りは形だけのもの。
へたった体幹や、普通にしてたら使わないような筋肉や関節の
目を覚まさせる程度のものです。

でもなんだか魅かれるものがあった。
たぶん、「ああ身体、気持ちいい~」と思えることがあったりしたからでしょう。
スポーツが得意とは言えない私が、
「スポーツ」はとっつきにくいが「運動」はけっこう好きなのねと
自分自身に気づかせてくれました。

そこで、これだけは本当につまらない、足の裏の筋肉を鍛える、という
しょうもない運動を不承不承やっているうちに

偏平足ぎみだった私の足の裏がくびれてきたことが実感できました。

こんな年齢で、土踏まずができるとは。

土踏まずのある自分の足は、それはそれはうっとりできるものです。

ダイエットが大成功してきゅっとなったウエストを見るように、
今、ほれぼれと自分の土踏まずを見ることができます。


昔っから努力とか地道な研鑽ってのが
どうしてもできないボヤボヤとした怠惰な性分だったのですが
自分でおもしろそうだと思って選んだことは、
わりと楽々と続行できるのだと思いました。

思えば子供のころは、レールが敷かれていてそこに乗っからされていたのか、
あるいは私があまりに怠け者だったから親がレールを用意するしかなかったのか、
自分で道を作っていませんでした。
心をつかまれたものを、周りに反対されたとしても躊躇せずに始めれば
もっと好きな道で伸びていたのではと思います。

今反省してもしょうがありません。

これからそうしていけばよいのです。
そして今実際、好きなことは続けられています。
時間がなくて思う存分好きなことができない、というのが悩みの種ですが


なあに、24時間自由が与えられたら、きっと散漫になるでしょう。


日々の雑多に取り紛れながらも、
自分のアンテナが示しているものの存在を忘れないでいこうと思います。

とりあえず、それがぼんやりとした来年への抱負です。





昔はブラウン管式テレビの上に鏡餅、というのが定番でしたが
テレビが薄っぺらくなってから、みんなどこに鏡餅をおいているのでしょう。

しかたがないから、テレビの前におこう。








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置いておいて、お風呂入って戻ってきたら、

こんなことになっていました。










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うちだけ、よそのお宅とちがう歳神様がいらっしゃいそうです。



どちらさまもよいお年を。



























by yu-yu1117 | 2016-12-30 23:23 | のほほんつぶやき | Comments(2)
Commented by vinojapon at 2017-01-01 18:10
明けましておめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
今年は酉年、お互い鳥見に熱が入りそうですね^^。

装・・・以前は似合ったはずなのにどうもしっくりこない、
哀しいけれど痛々しさがあると自分でも感じるような服との
決別が出来るようになった今日この頃。
届く年賀状も「近眼になりました」等々老化ネタ満載となりました。

「年明けて 寄る年波を 更に知る」でございまする。(涙)
Commented by yu-yu1117 at 2017-01-02 22:17
quesoさん、明けましておめでとうございます。
本年も目を見張るようないろんな鳥さんの勉強をさせてください。
そうなんですよ、皆さん酉年、酉年、とおっしゃいますが
「鳥年」です。今年も。

装。17年の月日を経て、一度いろんな価値観をリセットするのに苦労しました。
今更平成ヒトケタの感性とか、その時の自分の年齢には
戻っちゃいけない・戻れない。(´;ω;`)

届く年賀状にも哀愁がありますが、昨年末は「親が亡くなった」の喪中はがきに混じって
「夫が亡くなった」が来て、なにかすごく力が抜けました。
とはいえ、寄る年波にうつむいてばかりいないで、
上を向かなきゃとは思います。
上を向けばスズメくらいは「ちゅん」と言ってくれそうです。



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