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逃れられない保護色。

前回に続き、物シリーズです。
スマホカバーを買いました。
私のスマホはiPhoneでもないし、型もかなり古くなって
そのへんの店頭では合うものが見つからないのですが、

あーら便利。amazonなら一発で検索。

本当は紺とか黒っぽい色にしたかったんですが、
時折バッグの中をゴミ屋敷化させてしまうことのあるお茶目なゆうゆうさん、
あえて白っぽい色を選んで、バッグ内の暗黒カオスワールドで判別がつきやすいようにしました。





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これでスマホはどこだと探す心配が減りました。

めでたしめでたし。と思い、
私が家の中でベッドの次に心身を休ませられるソファの上にぽんと置いて席を立ち再び戻ってみたところ


「スマホはどこ~~!?」






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闇夜にカラス、の状態を避けた結果、

稲穂にスズメ、枯れ草にホオジロのベージュかぶり。

まさかソファの色との保護色になっていたとは。

朝忙しかったり眼鏡かけてなかったり暗かったりしたら
もうアウトです。


結局私はいつもどこかでわちゃわちゃ探し物をすることになったのであります。





ある日曜の朝に、ヤマガラのいる公園にダンナと散歩に行ったときのこと。

うれしそうにひまわりの種をポケットからごぞごぞと取り出したダンナ。

「お。準備がいいねえ」
ほめたたえるゆうゆうさん。

けれど、肝心のヤマガラの反応があまりよくありません。




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寄ってくるのですが、一つ咥えて逃げて、もうそれっきり。

そして、そばで同じようにひまわりの種を差し出している人のほうへ、
どんどん流れていくのです。

なんででしょう。

原因がわかりません。
そばに出店した「来来亭」に客を取られた老舗のラーメン屋の気分です。

ダンナの手の中のひまわりの種をのぞき込むと、
なんだかやけに白い。


「せっかく食べやすいように、わざわざ『皮むきひまわり』を買ったのに」

「・・・・それじゃん」

もしも行楽シーズンのハイキングで、
足元に「甘栗むいちゃいました」がぼてぼて落ちてたら拾うかいな。
鹿のフンにしか見えんっつの。
皮とかイガとかあるから初めて栗拾いをしたくなるっちゅーの。

野鳥相手に「よかれ」とか思うなよ!


いろいろと人生が負けいくさです。



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by yu-yu1117 | 2017-01-28 16:17 | のほほんつぶやき | Comments(10)

妻の秘密


先日、私がテーブルに放置していたものを

ダンナがみつけて、凍りついた。



か・・・かあさん、






まさかの入れ歯!?



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ああ。

そうそう。

この入れ歯をはめて毎日会社に行きますのん。

めっちゃ便利。



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・・て。


これで鼻つまんだろか!?(怒)

私はちゃんと歯科健診に行っているから心配するな。

それよりアンタが眼科の健診に行くがよい。



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そしてもう、入れ歯にしか見えない。(それでも絶賛愛用中)







ご近所にモズ子がいたので、

お口直しに貼り付けておきます。

こんなに優しい顔なのにクチバシの鋭さハンパなし。

絶対この子は入れ歯じゃないだろな。

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幸せの青い鳥もちらりと見つけたよ。

すぐ飛んで行ったけどな。(泣)

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第一回プラチナブロガーコンテスト

by yu-yu1117 | 2017-01-14 16:30 | のほほんつぶやき | Comments(12)

この一年をぺろっとふり返ろう。

これが2016年の最後のブログになるでしょうから、

まあちょっと一年をふり返ってみたりしましょうぞ。



今年、私はいったいどんなことがあったか。

今年に限って、なにか新たな展開はあったか。


例えば今年の漢字は「金」だったとかニュースでやっていましたが、


では私における、今年の漢字はなんだったか、つらつらと考えてみます。

清水寺の舞台で、太い墨で一文字書けと言われればこう書きますね。

できるもんなら丸ゴシックのフォントあたりで書きたい、


「装」


17年ぶりに、制服というものとお別れいたしました。
服装の「自由」を手に入れたのです。
社長の有無を言わさず、手に入れた自由。

そして自由には必ずそれに伴う不自由がついてまわるもの。

17年という期間を経て、私の衣服に対する思考回路は完全に退化していたことを知ります。
何を着ていいのか、皆目見当がつかない。
そして何を参考にしてよいのかわからない。
50代のマダム雑誌のものとも、ちょい若い丸の内のOLが読む雑誌のものとも、
30代のママたちのものとも、
どれにも属さないと思い知ります。
そりゃそうです。そんなに「これ」という大きな内訳にみんながみんな収まりきるわけがない。
それでも私は毎日自分でチョイスした服を着て仕事に行かねばならない。そしてそれは自分が決めたこと。


まずは制服のような私服を買ってみます。ひざ丈のスカートだったり、無地のカーディガンだったり。
これは我ながら良い選択でした。
自分の中に私服に対する免疫力を蓄えながらも、いきなり冒険には出ない堅実路線。大人の戦法です。

そうこうしているうちに、
あんなに「わけがわからん」かったガウチョを味方につけ、
仕事では無縁だったパンツのスタイルにも手を出し、
自分の体型に合う着丈というものも試着室の中で学び取ります。

例年より4~5倍くらいの服飾費はかかったように思います。
なんといっても、それまで服飾費など無いに等しかった。
休日用のユニクロのジーンズなんかが立派な服飾費のメインだったように思います。

服選びのルーティーンに安定の兆しがみえ始めてからは
買ってはみたものの使えなかったという失費の割合も減り
また服飾費は落ち着きを取り戻しました。

そうしてみると手段としての私服も、やはり新しい服、新しいコーディネイトをしたときは
少し気持ちが弾みます。
反対に、この組み合わせはなんか違った、とか、着心地が悪かった、というものは
一日、若干気分が高揚しない。
これはきっと普通の人が普通に持つ感情だと思いますが、
そういう気持ちの浮沈を17年ぶりにまっとうに味わいました。
ごくありきたりなライフスタイルであると思っていましがた、
多くの女性が当たり前に持っている感情を、知らないうちに喪失していることというのはあるようです。



知らないうちに喪失、というのか、
もともとなかったのか、
それはわかりませんが、今年少し手に入れたのでは?
と思うものがあります。
それは

土踏まず


です。


何度もここでは書きましたが、水曜日に少し早く仕事が上がれた日は
ジムのヨガクラスに入っていました。
ヨガという括りは形だけのもの。
へたった体幹や、普通にしてたら使わないような筋肉や関節の
目を覚まさせる程度のものです。

でもなんだか魅かれるものがあった。
たぶん、「ああ身体、気持ちいい~」と思えることがあったりしたからでしょう。
スポーツが得意とは言えない私が、
「スポーツ」はとっつきにくいが「運動」はけっこう好きなのねと
自分自身に気づかせてくれました。

そこで、これだけは本当につまらない、足の裏の筋肉を鍛える、という
しょうもない運動を不承不承やっているうちに

偏平足ぎみだった私の足の裏がくびれてきたことが実感できました。

こんな年齢で、土踏まずができるとは。

土踏まずのある自分の足は、それはそれはうっとりできるものです。

ダイエットが大成功してきゅっとなったウエストを見るように、
今、ほれぼれと自分の土踏まずを見ることができます。


昔っから努力とか地道な研鑽ってのが
どうしてもできないボヤボヤとした怠惰な性分だったのですが
自分でおもしろそうだと思って選んだことは、
わりと楽々と続行できるのだと思いました。

思えば子供のころは、レールが敷かれていてそこに乗っからされていたのか、
あるいは私があまりに怠け者だったから親がレールを用意するしかなかったのか、
自分で道を作っていませんでした。
心をつかまれたものを、周りに反対されたとしても躊躇せずに始めれば
もっと好きな道で伸びていたのではと思います。

今反省してもしょうがありません。

これからそうしていけばよいのです。
そして今実際、好きなことは続けられています。
時間がなくて思う存分好きなことができない、というのが悩みの種ですが


なあに、24時間自由が与えられたら、きっと散漫になるでしょう。


日々の雑多に取り紛れながらも、
自分のアンテナが示しているものの存在を忘れないでいこうと思います。

とりあえず、それがぼんやりとした来年への抱負です。





昔はブラウン管式テレビの上に鏡餅、というのが定番でしたが
テレビが薄っぺらくなってから、みんなどこに鏡餅をおいているのでしょう。

しかたがないから、テレビの前におこう。








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置いておいて、お風呂入って戻ってきたら、

こんなことになっていました。










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うちだけ、よそのお宅とちがう歳神様がいらっしゃいそうです。



どちらさまもよいお年を。



























by yu-yu1117 | 2016-12-30 23:23 | のほほんつぶやき | Comments(2)

じいさんの襟元。

さてさて。じいさん(実父)が死にかけています。

死にかけてるだなんて!! とおっしゃるかたもおられるでしょうが、

まあほんとなんだからしょうがない。


お医者さんも、そういう乱暴な言葉は使いませんが、まったく同じ意味のことを
おっしゃってるんだから、
身内は、あー。死にかけてるんだな、と思うのみです。

死ぬべき病気はしていないんだけれど、
腰の骨を折ってリハビリをしようにも、認知症が進んでしまったので
「足を伸ばしてね」だの「手を握ってね」というのが理解できないので
リハビリになんないの。
呑み込む力がなくなったからご飯も食べられないしお水も飲めない。

バナナが半分しか食べられないさっちゃんよりかわいそうです。

だもんで、2週間とか3週間とかに一度、そんなじいさんの顔を見に片道3時間かけて行きます。

この前の日曜日に行って、ひょっと顔をのぞいたら、

なんとパジャマの襟元に、私がずうっと以前にあげた、ぱんださんのぬいぐるみが突っ込まれてました。
なんも考えなくなったじいさんと、なんも考えてなさそうなぱんださんの笑顔のコラボが、
絶妙すぎてけっこう笑えました。
おそらく襟で首が絞めつけられないように、ふかふかぱんださんがいいクッションになってるんだと思います。

先日は兄が行ったとき、痰を吸入するとき苦しそうな顔をするんで、
看護師さんがじいさんの手にぱんださんを握らせていたとのこと。

ぱんださん、大活躍!!

てか、看護師さんに遊ばれている、なすがままなじいさん!


9年前に、母親を同じようなかんじで見送って、2年半前には義父を、これまた同じようなかたちで見送って、
この終末期病棟とか緩和ケア病棟とか、そういうのも少し慣れてしまったふしがあります。

そしてのんきに死にかけてる身内の顔を、ただただぼんやり見ながら、
ダダ漏れするいろんな感情を、けっきょくどこにも持って行けずにいる自分にも慣れた気がします。


とりあえず秋から予定していたお正月旅行だけは、
気分じゃないのでキャンセル。
今年はけっこうおとなしめにおうちで過ごすことにしました。

忘年会はフツーにするのだ。

日常はおろそかにはしないのだ。

だって私はちゃんと生きてるんだもん。



by yu-yu1117 | 2016-12-13 19:09 | のほほんつぶやき | Comments(10)

おひさブログ。

ブログを放置してしまっておりました。

流行り風邪をもらったわけではなく、
仕事が激的に忙しくなったわけでもありませんで、
冠婚葬祭もありませんし海外旅行も国内旅行もしてなくて
ホームパーティーに呼ばれまくったわけでもなければ舞踏会が続いたわけでもなく
ピコ太郎の追っかけで全国廻っていたわけではないのですが、



要するにサボっておりました。

すこやかに生きております。




そういえば、一つの真相が明らかになりました。


先日(と言っても結構前になっちゃいましたが)、社長がなぜ、
まるで気まぐれのようにホイっと私に国産まつたけを2本、おすそ分けしてくれたか、について。



数日前に、会社あてにお歳暮でちょっとしたクッキーのセットをいただきました。

「これは休憩室に持って行って皆でたべなさい」
というお達しを受け、普通に「ありがとうございます」と受け取りました。


そうしたところ
「そういえば・・・前にあげたまつたけは、食べた?」


「はい、お祭り騒ぎでいただきました」


「ありゃあ、一本数千円するんか?!知っとったか!?」

と。

要するに、国産マツタケの市井の値段基準を知らなかったのでした。
きっと一本800円とか、ひょっとしたら500円とか、そのくらいかと思っていたご様子で。

エリンギじゃあるまいし。

一言でいうと浮世離れですわな~。

おそらくあの2本合わせて5,000~6,000円は下らないと社長が知っていれば、
私の手元にはいかなかったはず。



そんな社長はまた車を買い替えました。別にいいんですけどね。


レグザスは好きじゃないとか言ってクラウンを買われましたが、
それこそ私にはその価値基準がなんのことやら・・・です。






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晴れの国おかやまに、日曜になると親の仇のように雨が降ります。



by yu-yu1117 | 2016-12-07 19:29 | のほほんつぶやき | Comments(8)

3つの地獄から得た、ちっちゃい教訓。

そろそろ子宮がん検診にいかねば、と思いつつ、
なかなか行ける時がなかった。

昨日、やっと仕事が定時に終われ、
金曜ならいつもの担当の先生もいらっしゃる。
今日しかないなと勢い込んで夕刻の病院の門をくぐった。

受付を済ませ、婦人科の待合室を一目見てげんなり。
ソファーの8割がたが埋まっていた。
こりゃ、最低でも1時間は待つなあ・・・。

ここは産科・不妊外来とは棟からして分かれており、
婦人科の病気や検診・更年期の相談、そういった人ばかりなので
おなかの大きな人もいないし、幼児も走り回らず、
にぎやかでもなく明るくないかわりに
なんとなく落ち着けて、静かな空間の中でテレビが小さな音でかかっている。

私は今日一日座り仕事が多かったので肩や腰が若干つらかった。
やわらかいソファにすわりたかったが、そこはいっぱいで、
硬いベンチシートに腰を下ろした。

身体はがちがちだが、人との距離が近い中でストレッチはおろか
伸びをすることもためらわれる。
じっと座って呼ばれるのを待つ。
と言っても、医師2人に対して20人以上待っている。
長くかかるな。

短編集を一冊もってきていてよかった。
お気に入りの作家なのでこれを読めば退屈しないだろう。

短編の一つを読み終えたが、まだ呼ばれる気配はない。
私は理解力がアレなもんで、かなり遅読のほうだと思う。
それで次の短編も読むことにした。

それも読み終えた。
あーおもしろかった。
おもしろかったけど、肩・腰はがちがちなのに、目もヤバいほど疲れた。
そういえば今日は仕事で目も酷使したのだった。
目の前のテレビに表示された時刻を見ると
1時間半は経っていた。


「病院に来たせいで病気になる」
みたいな、陳腐な言葉を思い出す。

やわらかソファは、呼ばれて立ち上がった人のあとに
すぐ誰かが座るので、こんなところで椅子取り競争に負けるのも癪なので、
最初からレースに参加しないことにした。

ああ。
地獄だ~~~。

と思って、次の短編小説のタイトルをみると

~~ 地獄 ~~
とあった。

地獄のこの環境で、地獄というタイトルの小説を読むのか。
まさに地獄の中の地獄だな。
と思いながら読み進めたら、
数ページ読んで楽しくなった。

落ちてきた、おせんべいの缶の角が頭にあたったことが致命傷で、
死んで地獄に行った主人公が、その地獄コンテンツをこなしていくという
ストーリー。
鼻毛が出ている鬼で盛り上がったり、その鬼と揉めたり、
担当の鬼と、友人の担当の鬼の奥さんが不倫していたりと、
物語はまったく予想がつかない方向へ進んでいく。
おもしろい。

肩・腰・目はがたがただったが、右脳は刺激と快楽に満ちていた。
このとき2時間以上待たされていることには気が付いていたが、
あと数人で呼ばれるであろう安堵感もあった。
隣の人に変な目で見られないよう、がちがちの肩を震わせながら静かに笑った。
物語の最後は、生き返ったりするのかしら。
どうなんだろうどうなんだろう。


「ゆうゆうさん~」

看護師に呼ばれた。
呼ばれてしまった。
なぜ。なぜ今。今呼ぶな。

あと3ページで終わるんだよ。
なぜあと3分待ってくれないんだよ。

ラスト3ページ前で、
ちょん、と切られる、地獄。

物語の中の主人公はいろんな地獄の試練を受けていたが、
私のこの「尻切れトンボ地獄」も立派な地獄コンテンツではないか。

看護師さんにあと3ページなんです、とも言えず、
すごすごと検診を受けたのだった。
診察および検診時間、5分。

こんなもんである。
幸い
「うわ!筋腫がでっかくなっちゃってる!」とか
「子宮めっちゃ腫れてますよ!」というような衝撃的なことはなく、
結果は一週間後に郵送されるだけだ。


残り3ページであるが、
会計の待ち時間の間に読み上げた。
結局主人公は生き返るわけではなかったが、
いいオチがついていてこれはこれでよかった。

それでもラスト前で、いったん盛り上がった気持ちを素に戻してしまって
しかもその素に戻った時間は下半身をおっぴろげたりして
この世のものとは思えぬ違和感あるものを突っ込まれたりする
検診を受けていたわけであるから
一度下がったテンションでラストを迎えるのは大損をした気分にしかならなかった。

こういう待ち時間のあるときは、
やっぱりエッセイなんぞを携えたほうが無難だな、と思ったのであった。

おうちに帰ったらとりあえずストレッチをしよう、と思った。





















by yu-yu1117 | 2016-11-19 15:14 | のほほんつぶやき | Comments(2)

うっかりがとまらない。

本日、とてもショッキングなことがおきたので、
ここに書き留めておこうと思う。

本日スーパーで食品などの買い物をした。
いつものことである。
いつものスーパーである。
ここの2階にも駐車場があるのでそこに車を停めていた。

買い物をすませ、レジ袋をもって。
2階の駐車場に戻るべく、エスカレーターに乗った。


ら。

あ? なんか、ない。

バッグがない~~!
財布もスマホもいろんな鍵も入ったバッグがない~~!!


バッと振り返って下を見ると、
入り口に突っ込んだショッピングカートにべろんと所在なさげにぶら下がっている、
私のバッグがある~~!!

どこぞの刑事ドラマみたいに、ばばば~っとエスカレーターを駆け上り、
浅田真央のように華麗に踵を返し、半回転すると隣の下りエスカレーターに乗り替え、

トレンチコートきた織田裕二みたいにエスカレーターをだだだだっと駆け下り、
ようやく自分のバッグをしっかりつかむと、
山村紅葉のようにほっこりした笑顔を取り戻した。

なぜかBGMに、
「シュプレヒコールの~波」
と中島みゆきの「世情」が頭の中で流れていた。


いかん。

これは加齢のなせる技なのか。


事実、大人になってから財布を落としたりどっかに置いたまま帰ってしまったことなどない。

なので、しょっちゅう財布を落としたり忘れて帰ったりする人を
それ、集中力足りてなくない??と上から目線で思ってきた節がある。


本当に自分にはがっかりした。


あんまりがっかりしたので、
夕方、ジムのお風呂でそのことを同世代の知り合いに滔滔と語ると、

あるある~~私も~~!という言葉に、
安心感を覚えて、また山村紅葉のようにほっこりとしたのであった。

って。
これはまるで「とある、おばあさんの日常」ではないか。


厳に戒めなければならぬ。

高齢者の運転ミスなんてのが毎日ニュースで出ているが、
「他人事じゃないな」
と思う時点でもうヤバイ感じである。



忘れる、というと、

本当に忘れるのである。
18歳で、山陰生まれの私が山陽に居住地を変え、

もういい加減、山陰と山陽の気温・気象・その他あらゆる歴然とした差を
この肌で体感してきたはずなのに、


紅葉をみたいね~♪

などと、先週の晴れ渡った日曜の朝、
山陰の大山に呑気に向かったら、
真冬の吹雪だった。

周り、みんなフードつきダウンジャケット。

わたくし、呑気なパーカー。



なぜ。
雪道の困難・服装の失敗・車の立ち往生を

何年も何年も、何度も何度も繰り返しながら、

気象をきちんと予習しないで、気軽に山陰へ行くのだ私。






クソ雨。↓


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クソ雨とクソ風のなかで、

小鳥さんが木の実をつつくなんざ可愛い光景は一つもなく。



なんか寂し気な、ノスリさん。

(トンビだとスルーしようと思ったら、くるっと向きを変えたらおなかが白くてびっくり。

 ここでもやっぱりうっかり見過ごすワタクシ)
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自分の中にどんどんと忍び寄り増殖する「うっかり」と

どう付き合っていくかが課題である。

それを課題にしたことすら、明日にはうっかり忘れそうである。



by yu-yu1117 | 2016-11-12 23:46 | のほほんつぶやき | Comments(8)

秋が深まっておりますなあ。


きのうは揺れました。

会社の中にいたので、まあ頑丈な建物だしってことで
あわてませんでしたが、地味にビビりました。

私の兄は、鳥取で高校の先生をやっているのですが、
ちょうど授業中だったようで、

机の下にかくれるだの、揺れがおさまったら校庭に避難だのの
一連の流れを行い、そうしてるうちに
バンバンとヘリが飛び交ったりと、うすぼんやりとした田舎のまちが
騒然としてたいへんだったようです。

机の下に、とか走らないでみんなで並んで階段降りて校庭へ・・・なんて
どこか現実感を伴わないというか
「避難訓練という行事」という独立したイベントのようにとらえがちでしたが
やはりあれは不測の事態のための訓練であることよ、と思いました。

兄も小学校時代は避難訓練だりぃ~、とぼやいていた人でしたが
まさか生徒を引率して避難させる日がくるなんざ思っていなかったことでしょう。

それより鳥取の病院に今父が入院していまして。
大腿骨を折って手術したはいいけど、
手術の負担がかなりのもんだったようで容体が思わしくなく
この日曜に様子を見にいくつもりでしたが
さすがに山間の峠を越えていくのは
余震や落石がこわいので今週は見合わせることにしました。

先週の日曜日は、栗の木がたくさんあるお山のあたりをうろついていたら
やはりカケスさんに出会えました。

木の実のおいしい季節なのでしょう。

木の実といえば、今年の秋は岡山は熊の出没がハンパないらしくて
ちょっとこわくてあんまり山の中に入りたくないです。

地震もこわいわ熊もこわいわ、こわがってばかりですが
こわいもんはこわいので、しょうがありません。






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大きな余震がなければいいなあ。


by yu-yu1117 | 2016-10-22 16:01 | のほほんつぶやき | Comments(11)

背中の脂肪腫とりましたの顛末記

天気予報では、この週末は久しぶりのお出かけ日和、とのこと。

わ~いわ~いどこにお出かけしよう!!



と、1ミリも思っていないゆうゆうですこんにちわ。

このたび、おそらくは7~8年、ヘタすりゃ10年くらい、
背中で飼っていた腫瘍とおさらばしました。

左の肩甲骨の下あたりに膨らみができているのを自覚してからの
8年くらいは
その間に、肩の故障等で行った整形外科の先生なんかにも
ついでに診てもらって
「良性のものだから放っときゃよろしい」
などと言われたのでほんとに放ったらかしておりました。

薄いTシャツ1枚なんかだと、その部分が膨らんでるのがわかるんだけど
いわゆる「ハミ肉」という、ただのだらしなくなった脂肪と
さほど見分けがつかないので、誰からも指摘されませんでした。

ただ鍼灸師さん、整体師さんにはしょっちゅう指摘され、
そのたびに「整形外科の先生が放っとけばいいって言ったから放ってる」
と言い、「ああそうなんですね」で、会話が成立しておりました。


さて、このタイミングでなぜ、腫瘍を取ろうと決断したかですが、
2週間ほど前に、整骨院の院長に
「ゆうゆうさんの肩こり・腰痛、その他不調はどこでどういう因果関係が伴っているのか
わからない。
なんでもない脂肪腫だからといって、それが身体の内部をわずかにでも圧迫しているかもしれない、
無関係なトラブルと思っていることが、実は日頃の不調の発端をつくっているのかもしれない」

なんてなことをおっしゃり、
権威と理論に弱いゆうゆうさん、
そうだなと決断の5割を決めたのでした。


5割の決断をしたはいいけど具体的にどうするか、
と考えようとした矢先。

スポーツジムでよく世間話をする女性の方が最近姿を見せないなあ、
と思っていたところに、そのダンナさんに会ったので、様子を聞くと
なんと「背中の脂肪腫をとったからしばらく安静にしている」
と言うではありませんか。
それで自分の話をして、しかもそのダンナさんに私の背中を触ってもらったりして
「もっと大きくなる可能性は多分にあるらしい。取ったほうがよい」
という結論になりました。
そこで9割がたの結論が出たところで、
その話をそばで聞いていた、また別の親しく話のできる女性が良い形成外科に通っていると言い出し、
その病院こそ、うちのすぐそばの総合病院でした。

悩んだり迷ったりする暇もないくらいに、とんとんとんっと話が進んで、病院へ行き
背中を見せて2秒後に「これは取りましょう!」と言われ、その場で手術日を決め、
そして昨日、金曜日は会社を早退して手術、ということに。


日帰り入院ですむし、部分麻酔で、早ければ30分で終わる、
ということだったんですが、
宝箱は開けてみるまでわからないものです。

開けるまでの予想の印象としては、こぶりなおもちみたいなのが一個、皮膚の下に埋まっている、
そんな感じだったのですが、
私のはそこからタコのように足が四方八方に伸びており、
その足を一つずつ引きはがさねばならず、
中には少し筋肉と絡むようになっていたやつさえあり、
一時間弱、手術に時間を要しました。
部分麻酔なので当然押されたり引っ張られたりの感触だけはあり、
筋肉から引きはがすときは痛みも出て麻酔を追加してもらったりと
50分の長かったこと。
ベッドの印象も、枕の形も、たまにしんどいときだけ行く
エステ風マッサージ店のそれと何ら変わらず、同じように背中を触ってもらうのに、
やってる中身は天国と地獄の差。

それでも50分、後悔しないで耐えられたのは
(後悔してもどうしようもないけど)
最初の鍼灸師さんの一言からのとんとん拍子の出来事。
手術をしてくださる女の先生は、
外見もしゃべり方もクワバタオハラのオハラ(眼鏡じゃないほう)のような
さばさばと茶目っ気のある先生で、頼りがいもある。
手術を終えて、結果は当初の予定よりたくさん切って
10数センチは切られたもよう。(もちろんまだ見てないけど)
部分麻酔ギリギリの大きさと深さ・形状だったそうです。

もう少し放ったらかしていたらどうなっていただろう、
と思うと、このタイミングの決断がちょっと奇跡的にすら感じます。

何回かここにも書いていますが、あんまし社交的とは言えないので
幅広くあけっぴろげにいろんな人にいろんな話を振ったりできないし、
親しい友人と言ってもしょっちゅう会ったりしょっちゅうメールしたりしていないけど

それでもやっぱり、どっかでだれかに、どんなかたちかで
助けてもらって今があるような気がして、
親しいかそうでないかは別としても、顔見知りというだけでも
「丁寧な顔見知りの関係」は心がけるべきなのだろうなあ、
と思いました。

さて。
そこまでは緊張の中で行われましたが、
家に帰り、そこから疼く疼く・・。
ボルタレンを6時間おきに飲んで、効いてるうちにちょっと寝られるって、
そんな感じ。
微熱も出たりしてしんどいのなんの。

手術したんだから当たり前っちゃあ当たり前ですけど。

ダンナは気遣ってくれて何から何までしてくれて・・・
と言いたいところだけど、
心配はしてくれるけど、行動が伴わないというか

だから1階の窓を開けっぱなしで寝ると泥棒入り放題やん、
とか
この季節ってのにエアコンかけっぱなしで寝てるよ、消しにいかなきゃ、
とか
トイレに行こうと暗めのリビングを歩くと、必ず使用済みのつまようじが一本
床に落ちててそれを踏むんだよねアタシ、
とか

なかなか安静にできないゆうゆうさんでした。

もちろん月曜日からは普通に仕事復帰の予定。

・・・・。
ぜんぜん安静にできないゆうゆうさんであることよ。





by yu-yu1117 | 2016-09-24 15:44 | のほほんつぶやき | Comments(12)

「共感性羞恥」。名前があったことがうれしい。

ここ数年で、こんなに腑に落ちたことはなかったんじゃないかということに出くわしました。

「マツコ&有吉の怒り新党」を録画してたのを土曜のお昼にぼおっと観てたら

「ドラマなどで『この後、この人は確実に恥をかくだろうな』というシーンを見るのがとにかくイヤです。
しかし、一緒にテレビを見ている母に言っても理解してもらえません。この気持ちわかりますか?」

という質問提議があり、

専門家によると、実はそれには「共感性羞恥」というちゃんと名前のある心理現象で、
ある一定の人にしか見られない、日本人では10%ほどにしかみられない、というもの。
まだ日本では研究が進んでいないから知っているひとはとても少ない、とのこと。
マツコもつらいドキュメンタリーとか二時間サスペンスとか見てられない、
と言っており、
「ああ、そうそう!!」
と思っていたところに
『「共感性羞恥」を持つ人は、ドッキリ番組が苦手な人も多い』
というのがでて
「ああああ~!!まさに~~!!」
と、ドンピシャ。

私は、毎週やってるような放送で一番観ていられない番組っていうのが
「モニタリング」ってやつで、特に家族が仕掛け人になってお父さんをだますとか、
そんなのが、ぜったいに正視できない。

けど、うちではダンナも息子もそれを観て楽し気にしているから、
もうできるだけ画面を観ないようにしていたけど、
それはなぜなのかがずうっと自分で理解できなかった。

私がおかしいのか、平気でいるダンナや子供がへんなのか、
でも視聴率が高そうな番組なので、
みんな平気でみられるんだなあ、きっと私がおかしいんだな・・・、とか。
自覚はしてなかったけど、本当にそこはもやもやしてたと思う。

さて。
すぐさま「共感性羞恥」で検索してみると、
まったく同じように「モニタリング」が一番苦手、な人や
単純に水にハマったり落とし穴に落っこちたりのドッキリはまるっきり平気だけど、
人の心をじわじわ不安にさせるドッキリは絶対見られないとか、
私とおんなじ症状を抱えてた人がわんさかいて、
手を取り合って喜びあいたい気持ちでいっぱいに。

なかにはサザエさんだとか、NHKののど自慢だとか、
そんなのにも?という人もいて、
病気ではないにしろ、症状としては深刻なのでは、と思う人も。


とにかく、長年、おそらく子供のころからの
この、周り(とくに家族)と感覚が激しくズレていると思う違和感が、
ちゃんとツボをついてれっきとした名前があったことに、本当にすっきりした。

あまりにうれしくて、
帰宅したダンナにこの話をしたら
ダンナ曰く、
「ドッキリなんかは、ちゃんと打ち合わせしとるんだから、
 それを観てららないとかいうのはおかしいんよ」

と。

あ。もうまるっきり接点がないな、と。
この機微のほんの切れっぱしも、
この人にとっては相容れない箇所なのだなあと。
この感覚を理解してもらうのは一生無理だとはっきりわかりましたし
理解してもらう努力も無駄なことなのだともわかりました。

だからいいのかもしれないけど。
夫婦そろって、のど自慢も見られないで「共感性羞恥」の現象にオチていたら
場合によっては救いようがないとも思うし。
この感覚の違いが社会に向けてはバランスを保てることになってるのかもしれないし。


ところで私、
本当は「ドッキリ」が観られない原因は「心的外傷(トラウマ)」なのかな、
とずっと思っていて。

もう、ほんと何十年も前、20代だったか、もっと前だったか、
番組で素人を結構ヤバいドッキリにかけても時代的にとてもゆるく、許されていたときのこと。

かなり高齢のおじいさんが孫を乳母車(ベビーカーというより乳母車)に乗せて
穏やかに橋の上をお散歩しているところに、
突然暴力団の抗争が起きて目の前でドンパチやり始めるという、
ミもフタもない、今の時代ならクレーム殺到のドッキリ企画を目にしてしまい、
(おじいさんは身を屈めながら孫を庇ってた)
その後何日もずうっと頭から離れないし寝る前は思い出して憤る、の繰り返しで
不安とも辛さとも何とも言えない感情にとらわれた経験があり、
そこが「ドッキリ苦手」の発露かと考えたこともあったけど。

心的外傷ではなく共感性羞恥だったのです。

他にも、きっとこんなふうに、「人とは相いれない、感性の違い」
といったもやもやに、実は名前がついていて、
原因や対処法や、同じ悩みを持つ人がいるのだろうなと思った次第です。

こんなにネットが盛んで情報も滂沱として流れているのに
みんな知らなかった~!というようなことって
実はまだまだあるんだろうと思います。

そして一国民のちょっとした発言で、こうやって
日本人の1割のもやもやが解けることもあるのだなと。
今回マツコの番組に投稿してくれた視聴者の人に
きびだんごの一つでも贈呈したい気持ちでいっぱいです。







by yu-yu1117 | 2016-08-29 22:45 | のほほんつぶやき | Comments(0)