食器棚の一つが壊れた。
結婚する時、母と一緒に買った30年ものの食器棚の方ではない。
母と選んだそれは汚れや傷は目立つが、きっと物が良いのだろう。まだ毅然としてここにある。
壊れたのは子供が小学生だか中学生だか、お金にまったく余裕もないころに買った幅60センチ程のひょろっとしたタイプだ。
食器そのものに興味を持つゆとりもなかったので当然食器棚にもこだわりがない。買った時期も買った店も何も憶えていない。
そしてそいつは長年の大皿の重みに耐えられず、棚が徐々に下方に向かって湾曲していった。
それでも見て見ぬふりをして使っていたが、その湾曲した板に上から圧迫されるかたちで、今度は引き出しが開かなくなった。
無理やり取っ手をつかんでグイッと引くと、
引き出しの前板が丸ごと「ぽん!」と乾いた音を立てて外れた。
ようやく諦めがついた。
買い換え時だと素直に認めよう。
では、もう子供からも手が離れたし、
すてきなお皿を買い足すためにすてきな食器棚を・・・。
と言いたいところだが、ニトリでかなりお手軽なやつを買った。
この新しい食器棚は、とりあえず5年、きちんと仕事をしてくれたらそれでいい。
なぜ5年なのかは、後述するとして。
配送・設置は自分とダンナとでやった。けっこう軽かったので二人で十分持てたので。
お高い食器棚ではこうはいかない。
古い食器棚を玄関先に放っぽり出して、新しい食器棚をそこに備え付ける。
横幅もぴったりだ。
壁との距離を微調整しようと軽く動かすと、その棚はふわん、ふわん、と前後に揺れた。
なぜだ?
立ってる人のおでこを押すように、つん、と棚を押す。
ふわん、ふわん、とやっぱり前後に揺れる。
これはいかん。何かがおかしい。
もう一度前に移動させ、底に異物を挟んでいないかなどチェックするが異常なし。
もう一度定位置に備え付け、軽く押す。ふわんふわん。
ああ。
やっぱりニトリ。安かろう悪かろうだったのか。
そう思って悔しがろうとしたところ、その横にある、母と買った、古株の食器棚の側面が目に入った。
普段はこの食器棚の側面を見ることは物理的に不可能だったものだ。
棚の下部と、上部では、壁との距離が違っていたのだ。
3㎝はゆうに差がある。
もしやと思って冷蔵庫の側面も必死でのぞき込む。
冷蔵庫も3㎝、傾いていた。
安かろう悪かろうは、ニトリじゃなかった。
家であった。
古株たちはすでにたくさんの物がごっそり入っており、重さでふわんふわんしないだけで、実は傾いていたのだ。
今ここにビー玉がないのがちょっと悔しい。
100均でビー玉買おうかな、と思わなくもなかったが、そいつらを床に転がして、
勢いよく一方に転がっていくさまをみて、だから何が楽しくてやってんだ、と自虐的になるのもどうかと思う。
私はこのニトリくんを疑って悪かったなという気持ちも込めて、もう一回ふわんふわんさせながらダンナに
「5年後、引っ越すから、いっか」と言った。
そう。私が欠陥住宅じゃん!と一向に憤慨していないのは、ここは賃貸だから。
ここは昔月極駐車場だったらしいが、それより儲かるのか税金対策とかそんなやつなのか、地主さんは駐車場をやめてお手軽な一戸建てを2つ建てた。その一つに私らが入り込んだ。
私らはいわゆる法人契約というやつで
ダンナの会社が家賃の面倒をみてくれるので、それなのに新築の一軒家が借りられて本当にありがたい話であった。
この家は安い造りだというのは様々な細部から薄々気づいてはいたが、まさか傾いているとは思っていなかった。
5年後に引っ越そうというのは、5年後にダンナが65歳を迎え、おそらくそこで私たちはここを引き払わなければならないため。
なのでここは終の棲家ではない。
5年後の新しい(新しいと言っても中古住宅なのかマンションなのかまだノープラン)キッチンに、サイズが合えば今回買ったニトリくんはそのまま入るだろうし、入らなかったり不要だったりすれば、その時に取捨選択を強いられる。我が家の家具たちはそういう運命を背負っている。
しかし安い造りだろうがなんだろうが、私はここを本当に気に入っている。
入居した当初は近所中に小学生くらいの子がわんさかいて、あらゆる種類のボールが敷地内に突っ込んできたり、子育て中のママさんの井戸端会議が私の家の前で行われていたが、
9年もたった今は寂しいくらいに静かだ。
子育てママさんたちも皆、子供のため、家のローンのため、仕事を始めてしまった。
それでも9年間一貫して、隣りは近所のおじさんの趣味の畑が広がっていて、春夏秋冬いろんな鳥たちがやってくる。一番のお気に入りはこの畑であることは間違いない。
歩いて数分のところにスーパーもクリニックモールもホームセンターもマクドナルドも結婚式場まであり、すべて我が家はお世話になった。
まさか結婚式場までお世話になるとは思わなかった。
実は葬儀場もあるにはあるが、ここはお世話になっていない。まだなりたくもない。
ここだけは縁を深めたくない。
家の中でいうと、子供もすっかり大きくなってからの入居なので、9年たった今も壁は白いままだ。
汚し屋さんがいないというのはこんなに快適なことなのか。
前に住んでいたコーポの壁は、手の打ちようがないカオスが広がっていた。
この快適な家をあと5年で出ていくのか。
実家を含めると、私はもうここが7戸めの住処である。
そして8戸めが、おそらく終の棲家となる。
まあ老人ホームとか、行かなきゃの話だが。
5年の間に、ここを飽きるくらいがちょうどいいなあ。
その方が寂しくない。
それとも傾きがひどくなって「こんな家出て行ってやる」と捨てゼリフ吐いて出ていくのかなあ。
一番未練を残さずここをあとにするパターンは、
隣りの畑にわけのわからない建てものができることだろう。
リビングのカーテンを朝、さあっと開けると、畑と小鳥たち、ではなく、素っ頓狂な建てものと得体のしれない住人・・なんかになれば、5年を待たずに出ていくだろう。
そんな日は徐々に忍び寄るようでいて、意外と突然やってくるかもしれない。
あの、安物の食器棚の引き出しの板が「ぽん!」と乾いた音を立てて外れた瞬間のように。